塾長の笑って天才ブログ

「答えがない」に耐えられる人を育む。

答えを求める状態から脱却し、「答えがない」に耐えられる人間になろう。

以下、めちゃくちゃ文章が長いです。うっかりしてました。
私がなぜ、これまでの教育は答えありきなように感じられるのか。
なぜ、「答えがない」に耐えられる人間になろうと考えたのか。
興味のある方は、読んでください。 ー (国語担当 めぐ先生)

「生産性が無ければ死ね」の論理

相模原障害者施設殺傷事件から4年が経ちました。
これに関連するブログや記事を読んでいて、教育に関わる部分もあるのではないかと思ったので、書きます。
この事件の是非や死刑制度等について問うものではありません。

この事件の被告が犯行に至った経緯をざっくり説明します。

「もし自分が歌手や野球選手のような、社会に対して生産性をもたらす人間であったなら、
こんな事件を思いつくこともなかっただろう。
だけど自分はそんな人間ではない。
社会に還元できる何かを持っていない自分は、生きていていいのか?
生を許されるためには、生産性のある人間にならなければいけない。
どうすれば、社会の役に立てる?」

悩んだ末に選んだ手段が、入居者の方々(特に意思疎通がむずかしい方)を殺害することだったんですね(私はそう解釈しました)。

そして被告は自身の犯した罪によって死刑判決を受けるわけですが、
ここで彼の「生産性が無ければ死ね」という論理はひとつも破綻しないことに気がつくと思います。

「自分と同じように生産性を生み出せない人を殺せば、社会に認められると思った。
だけど社会に認められなかった。だから死刑を宣告された。
結局、生産性を生み出すことができなかった。
だから、俺は死ぬんだ」

これは、「生産性が無ければ死ね」の論理が強化される結果にしかなり得ません。

被告自身が己の生きていてもいい根拠を生産性に見出していたわけですから、
自身が生産性があると信じていたものを否定されれば、
「生きている価値が自分にはない」という結論に至るのは、当然です。

死刑判決が出た。それで終わってはいけない事件だと思いませんか。

「決められたものを、決められた通りに、正確に処理する能力」

さて、やっとこさ本題に入ります。
被告の犯した罪は決して許されるべきものではありませんが、「あの価値観は、一体何に起因するのか?」を考える必要はあると思います。

この「生産性が無ければ死ねの論理」は、大量生産大量消費の時代にかなり合致した価値観だと感じています。
「社会の歯車となれる人間」を求め、そうなれない人間を排除してきた結果が、「生産性が無ければ死ね」の論理を生み出したのではないか……。
そう考えています。

そして、この大量生産大量消費の時代において重要視されたのが、
「決められたものを、決められた通りに、正確に処理する能力」であり、
これまでの教育は、この能力を伸ばすことに特化していたのではないでしょうか。

この「決められたものを、決められた通りに、正確に処理する能力」を育むためには、答えのない問題に取り組む力よりも一問一答的な力(瞬発力、スピード感)の方が重要視されます。

センター試験って、

「決められたもの(問題)を、
決められた通りに(テクニック通りに、繰り返し解くことで体が覚えた解法の通りに)、
正確に(短時間で、計算ミスやマークミス、読み間違いをしないで)
処理する能力」
を見極める問題だと思うんですね。
(念のため書いておきますが、もちろん知識や理解がなければ解けないのは間違いありません。)

なぜそう思うのかを、センター国語への取り組み方に即して説明します。
(広学で現代文と古典を教えているので、国語の視点で述べますが悪しからず。)

国語の問題は「情報収集能力」と「情報処理能力」をはかる構成になっています。

私の現代文の授業をとってもらえれば理解してもらえると思いますが、
問いの内容を理解し、本文の中から解答の根拠となる情報を集め、必要な情報と不要な情報を見分ける力があれば、現代文の問題は解けます(もちろん、文章を理解するための読解力や語彙力は必要ですが)。

例えば、
1段落目 「ゴリラの学名はゴリラゴリラゴリラ」という話
2段落目 「ゴリラはバナナを食べる」という話
3段落目 「たぬきは可愛い」という話
4段落目 「たぬきは何でも食べる」という話
5段落目 「ゴリラとたぬきの共通点」の話
こんな文章があったとします。

「筆者はたぬきの何を可愛いと思っているか」という問題であれば、3段落目に答えが書いてあるだろう、と分かりますね。
同じたぬきの話でも、4段落目は食べ物の話ですし、ゴリラの話をしている1、2段落から探す人はいないと思います。
では「ゴリラのこと全般」について問われていた場合はどうでしょうか。
1段落目か2段落目、そして5段落目の一部から答えを探すと思います。

これが、「解答の根拠となる情報を集め、必要な情報と不要な情報を見分ける力」です。
何を問おうとしているのか、そしてその問いに答えるために必要な情報は何なのか、どこにあるのかを見極める力。
そのあとは「いかに制限時間中に問題を正確に解ききるか」です。

「過去問を繰り返し解け」と生徒に指示する講師の方が多いのではないかと勝手に思っていますが、これは「制限時間やパターンに慣れろ」という意味が含まれますよね。

こういった指導は、思考力……問いを立て、自分の持っている知識を活かし、問いに取り組む力を養っていると言えるでしょうか?

私はそうは言えないと思っています。
「制限時間やパターンに慣れろ」は、イコール「情報処理のスピードを上げろ」と言っているようにしか思えません。

教育のこういった「情報処理能力を上げろ」という指導が、大量生産大量消費の時代に合致する人間を生み出す一因でもあるのではないかと考えています。
「この時代に合う能力を伸ばしてきた」というのもそうですが、なによりも私が問題視しているのは、「答えありきでしか考えられない状態を作り上げていたのではないか」という点です。

ここで一度考えてみてほしいんですが、「生産性を生み出せない自分は死んだ方がいいと思う」と言われたら、どう答えますか?

「じゃあ死んだら?」
もしくは
「生きているだけで十分、自ら命を断つ必要はない」
だいたいこのどちらかだと思います。

断言しますが、これは「答えを出そうとしている」態度です。

生きるか死ぬか、ということが問題なのではなく、「自分の存在価値がわからない」ということが問題なんです。
「答えがなければならない」という一種の強迫観念に駆られて、問題に気がつけていない状態です。

[余談ですが、被告は自分の存在価値の論理(「生産性が無ければ死ね」の論理)に答えを出そうとしたのではないかと考えています。
そしてその結果、「他者への侵害」を「己の存在価値」に結びつけたのだろうと思われます。被告の論理は破綻していないと言いましたが、論理の繋げ方が間違っていたと、私は思っています。]

「答えをだす必要のない問題もある」ということを、もっと主張していく必要があります。

ディベートが苦手な理由に「言い負かされるから」とか「意見が浮かばないから」とかがあると思いますが、いずれも「答えを出さなければならないという強迫観念」に基づいているように思います。
ディベートの本来の目的は、「自分がどう思っているか、自分の意見はどうなのかを自覚し、他者の意見を聞き入れ、新たな視座を手に入れること」です。

ディベートをしたからといって、意見を変えること必要はありません。

「いろんな意見を聞いた上で、やっぱり自分はこう思う」なら、それでいいんです。
「いろいろ聞いても分からない、賛成か反対か、どっちかを選ぶのは難しい」なら、それでいいんです。

重要なのは答えをだすことではありません。
「いろんな意見を取り入れた上で、自分の意見を持つこと」
ここが重要なんです。

話が逸れましたが、
「生産性がない自分は死ぬべきだ」に対して「じゃあ死ねば?」「命は大切です」といった見当違いな答えを出して、問題は一つも解決されないまま、解決したつもりになっているのが現状です。
 
こうした態度を生み出す原因である「答えありき」の教育から、「答えのある問題と答えのない問題が混在する」教育へとシフトしなければならないと、私はそう感じています。

国語担当 めぐ先生

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