子どもの頭の良さは経験値による
高校国語もまさにそれだという話
私自身、高校に入学したら国語がサッパリ解らなくなった。
このブログを読んでいる方も、一度、大学入試の国語の問題を解いてみてもらいたい。
難解だよな~と思う方も多いのではないかと思う。
塾では問題が解けるように何度も何度も問題集で練習して突破していくわけだけど、その根本になるものは…
経験値だ。
そして読書量。
国語の問題が解けない子は、テクニックがどうこうよりも、自分以外の視点が持てていない。
小説文の中で、「Aさんが◯◯と言ったのは何故なのか」という問いに「?」と思ってしまうのは、そこなのだ。
例えば、妻が夫である自分の事を心配して、病気なんじゃないのかとさんざん言い、病院行きをしつこく勧めるが、自分は全く健康だと思っていて、妻の態度にモヤモヤしている。
「もういいから、心配しないでくれ。」と妻に言った夫の心情を問う問題に、
・妻のことが嫌いだから
という答えを選んでしまう子がいる。
高校生といえば元気だから健康問題なんてないだろうし、母親や父親から、口うるさくあれこれ言われたら「うっせーな」くらいにしか思わないだろうから、自分の心情にもっとも近い答えを選んだのだろうと思う。
子どもの頭の良し悪しは経験値によるのだ。
普段、家族や友人がどんな会話をしているのか、自分の身の回りのことに興味を持って観察しているかどうか。相手の立場にたって考えているかどうか。
過去問で練習するよりも、日常に題材は溢れているし、その方がもっと大切だ。
そして本を沢山読むことだ。
小説でも実用書でもマンガでも、何でもよい。
名作と言われるものを次々と読破して、自分なりにアウトプットすることだ。
自分ではない主人公の誰かが、その時、どう感じたのか。
主人公の周囲の人たちは何をどう感じたのか、疑似体験することだ。
高校国語を簡単に解いてしまう子は、経験値が高い。
本を沢山読んで、知識も豊富だ。
問題をたくさん解いてテクニックにはしるよりも、根本を変えていく視点が大切だ。
子どもの頭の良さは経験値による
高校国語も根本はまさにそれだ