「で、なんの話だっけ…?」
現代文、特に評論の問題を解いていて、このような疑問を抱いたことがあるのではないでしょうか。
評論文、論理的な文章が分からない原因の一つに、「指示語が多用されているから」というものがあります。
日常においては「昨日あれ見た?」「あれ、やっておいて」といったやりとりで話が進んでも問題はありませんが、論理的な文章を読む上では、指示語が不明確なままだと致命的な勘違いをしてしまう可能性があります。
実は評論文、論理的な文章を読む上では、「指示語を掴む」ことがとても重要になるのです。
今回は指示語がいかに重要か、というお話です。
指示語って何?
例えば、SNS等で面白い投稿や動画を見つけたとき、「これ見て」と誰かに声をかけたことはありませんか?
「これ見て」のように、何かを指し示し、その指し示される対象(何か)の代わりになるものを指示語と言います。
(この例の場合、「これ」が指示語で、指し示される対象は面白い投稿や動画のことですね。)
指示語には「これ」「それ」「あれ」「どれ」などがあり、「こそあど言葉」と呼ばれています。
指示語の役割
指示語を使うことによって、同じ言葉・情報の繰り返しを避け、簡潔でわかりやすい文章にすることが可能になります。
例えば以下のような文章があったとします。
A 昨日、私は図書館で本を借りた。昨日私が図書館で借りた本はとてもおもしろかった。
くどいですね。指示語を使うと、以下のようになります。
B 昨日、私は図書館で本を借りた。それ(その本)はとても面白かった。
スッキリとした文章になりましたね。
Aは一文目で既に述べた「昨日図書館で借りた本」と同じ情報の繰り返したことで、くどい印象になってしまいました。
一方Bは、「それ」もしくは「その」という指示語を使うことで同じ情報の繰り返しを避けることができ、簡潔でわかりやすい文章になりました。
指示語の役割は「繰り返しを避け、簡潔でわかりやすい文章にする」ことだけではありません。
指示語を使って同じことを論じているのだと示すことによって、文を接続する力があるのです。
A 昨日、私は図書館で本を借りた。昨日私が図書館で借りた本はとてもおもしろかった。
このままの状態だと、1文目と2文目に繋がりがなく、別々の文章を並べたように感じてしまうのではないでしょうか。
B 昨日、私は図書館で本を借りた。それ(その本)はとても面白かった。
「それ」もしくは「その」という指示語は同じこと(=昨日図書館で借りた本)を示しています。
こうすることによって一文目と二文目に繋がりが生まれ、バラバラ感は消えましたね。
このように、指示語には文と文の間にある繋がりを示す役割があります。
他の箇所の言葉や表現を指示することによって、同じ事柄について論じていることを示し、二つの文を繋げるのです。
論理とは言葉と言葉、文と文の関係性を捉える力です。
指示語は二つの文を繋げる役割を持っています。指示語が指し示すものを明らかにするということは、文の繋がり=論理を掴むこととも言えます。
まとめ
何かを指し示し、その指し示される対象(何か)の代わりになるものを指示語と言う!
指示語は同じ言葉・情報の繰り返しを避ける役割のほかに、二つの文を繋げる役割を持つ。指示語の指し示すものを明らかにすることは、文の繋がり=論理を掴むことである!